Sは、どうしたらモテルか
モテルというと、Sにとってもプレイの前と後の2種類がある。
でも、需要量と供給量の関係からか、Mほど「プレイの前のモテル」にSは困らないかも。
すなわちSであることだけでモテル。(ただし、あくまでもMとの比較しての話だけど。)
例
純也は東京のSMスポットでは、かなりモテルけど、大阪ではまるでダメ。
なぜか。
システムが違うから。
詳しく説明しよう。
東京のSMスポットは、入場するときに、SかMかの目印をつけるのが主流。
だから、純也がSであることは、M君に対して明示されている。
大阪のSMスポットは、SかMかの目印をつけないのが主流。
理由は、「時と相手によって、SしたくなったりMしたくなったり、応用が利く。」とのこと。(感心?)
だから、純也はみんなにとって、SかMかわからない。
となると、外見が・・・良し悪しではなく、Sに見えるか否か・・・が重要になる。
ご存知のとおり、純也はSになんか、絶対に見えないからね。
どうなるか。
Sには、「Mだ」と勘違いされて付け狙われるわ。(笑)
M君には(同じM、すなわちライバルだと思われて)嫌われるわ。(涙)
このエピソードが何を意味するか。
すなわち、SはSであることだけで、かなりモテル(確率が高い)。
となると、論点は「プレイの後、モテルか。」こっちが重要になってくる。
「また、やって下さい。」とプレイが終ったあと、どれだけ言われるかだね。
結論から言うと、Mの場合と同じ。
「Mに対して、どれだけ提供できたか。」
これにかかってくることになるね。
では、何を提供すればいいのか?さらに詳しく考えてみよう。
まず、外見について。
前にも書いたとおり、あまり重要でないかもしれない。
ただ、タイプというものがあるから、「いくら上手くても出来ないタイプ」はあるだろうね。
ただ、自分のタイプでないSにヤラレルのが好きなMもいるしね。
外見にこだわる子は、SMというよりは、激しいセックスを求めていると思う。
SMと激しいセックスは、明らかに違うからね。
この話題についても、いつか書いてみようかな。
では、技術。
まあ、これがポイントであることは、皆さんもおわかりでしょう。
では、もう少し詳しく。
純也は、Mを淫乱にさせる、いわば触媒としての力量だと思っています。
SMの主人公は、何といってもMなんだから、
その主人公がどれだけ淫乱になれるかを演出する、映画監督みたいなものだね。
そして、Mが淫乱になればなるほど、こっちもノッてくるね。ホント!!
Sの醍醐味だね。
ときどき、Sの初心者や、経験のナイS志望者が、
「自分が気持ち良くなりたいためSMしたい」って人を見かけるんだけど、
そういう人は、修行不足というか、思い違いというか、
今回のテーマからすると、「モテないS」になる。
「何だ、自分が気持ちよくなることを考えちゃいけないの?」
という人は、Sに向いていない。
誤解がないようにしてもらいたいけど、目標と結果の違いをわかってほしい。
Sの目標はMを淫乱にすること。その結果としてSの醍醐味が味わえる。
自分が気持ち良くなるためにSをやるのではないんだよね。
「そんなのイヤだ」と言う人はSしない方がいいかも。
だから、自分が気持ち良くなりたい年頃の10代から20代前半って、原則としてSにはなれない。
その年代はMをやっていて、20代後半からSに転向したっていうSの人が多いのも、
ごく自然なことだと思う。
だから、「タチ=S」とは限らないのも、ここから出てくるね。
純也のMのリピーター君の約半分は、普段はタチ(中にはノンケ)だからね。
「おれはバリタチで、ふつうのセックスには飽きた。」
ここまではOK。
「だから次はSをやろう。」は、ちょっと「タイム」かもしれない。
年齢によっては
「だからMをやろう。」
かもしれないんだよね。
「だけど、おれタチだから、ケツ使えないよ!」と、思うかも。
しかし、別にケツ使えなくてもSMにはなる。
もっとも、これは純也独自の見解かもしれないことをコメントしておきます。
中には「Mは、最低限、ケツ使えないと」と主張する人も多いんだよね。と、いうのは、
「MはSに「奉仕してもらう」のだから、せめてSの気持ちを良くさせる方法として、ケツ奉仕を!」
と主張する。「たしかに」と思う。
しかし逆に言うと、Mにケツを求めないSはモテル。とも言える。
普段はタチで、でも、時々Mられたい。なれどケツは使えない。
こういうニーズに対応できないSも、結構多いからね。
純也は、「対応できる」どころか、そういうヤツとヤルのが好き。
「テメー、普段ケツ掘ってるタチのくせに、そのザマは何だよ。裏は変態なくせに!!」
って、攻めるの!!!(腹黒)